今回、ちゃんと病院の施設警備の仕事に就きたいと思えた。
履歴書用の写真を撮るために、ネクタイを探した。
クローゼットを開けると、一本もない。
そういえば、会社を辞めたときの大掃除で、
「もう使わない」と思って全部捨てたんだった。
ChatGPTにネクタイの色を聞く。
借り物でもいいかなと思ったけど、やめた。
スーツ店に行くと、一本4,000円以上する。
正直、こんなにするのかと驚いた。
結局、近くのショッピングモールで
半額の1,000円のネクタイを買った。
見た目は十分だった。
ふと頭をよぎる。
「ネクタイはシーンで選べ」
「靴はその人を表す」
そんな話をよく聞く。
でも正直、
それで人を判断することが本当に正しいのか、よくわからない。
むしろ、
そうやって“整えて見せること”が上手い人が、
本当に信用できるのかとさえ思うことがある。
——話はそれたけど、
ネクタイを買って帰って、
また履歴書と職務経歴書を作り始めた。
⸻
職務経歴書を書く。
転職回数の多い自分。
特に20代の頃は、何をしていたのか分からなくなるくらい、
正直、荒れた職歴だと思う。
でも、いざ書き出してみると、
不思議とそれが面白く感じた。
一つ一つの仕事、
今振り返ると、どれも自分の中に残っている。
あの時経験したことが、
ちゃんと今の自分を作っている。
そう思えた。
ちなみに履歴書の方はというと、
あと一社書き足したら、もう枠がいっぱいになる。
正直、これ以上行数を増やしたくないなと思って、
少しだけ悩んだ。笑
約22年の中でも、30代に入ってからの直近の12年間は
20代の頃とは景色が少し違っていた。
正直に言うと、
ずっと我慢して生きてきたと思う。
家族を支えるため、
キャリアを作るため、
社会人として真っ当に生きるため。
自分の気持ちよりも、
“やるべきこと”を優先してきた時間だった。
それを覚悟して仕事を決めた当時の記憶もある。
そして今、42歳でそのすべてを一度リセットし、
もう一度、自分のキャリアを見つめ直している。
不思議と、
少しずつシンプルに考えられるようになってきた。
これは自分でも意外な感覚だった。
42歳という今の状況で、
正直、これから手にできるものは限られていると感じた。もうもっとシンプルでいいのではと思えた。
同時に、
もう十分すぎるほど、いろんなものを手にしてきたとも思えた。
そして、ふと気づいた。
今書いているこの職務経歴書は、
ただの応募書類じゃない。
これは、自分がこれまで、
正しいと信じて踏ん張り、我慢して、耐えて、
積み上げてきた証であり、
言ってしまえば、
自分自身への表彰状のようなものに思えた。
これまでの選択が正しかったかどうかは分からない。
でも、
積み上げてきたこと自体には、
ちゃんと意味があったと思えた。
自分が憧れていた、全部を手放して新しいことに挑戦することだけが正解じゃない。
こうやって、
踏ん張って積み上げてきた時間も、
一つの正解なんだと思った。
そして同時に、
前職で支えてくれた社長や先輩のことが頭に浮かんだ。
当時は、
毎日毎日すぐにでも辞めたいと思っていたし、
不満や我慢で溢れていた。
離れたい。もう嫌だ、信じれない、リセットしたいと思う日々
いろいろな場面がフラッシュバックした。
意外なことにそれは
社長や上司の良かったところが思い出された。
もう一度、一緒に仕事がしたいとさえ思えた。
自分の中で、
静かに感謝を伝えた。

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